こんにちは。ノブノブです。
私も40年近く写真を撮っていると、他人の写真をよく見せていただきます
そして相談も受けることがあります。曰く・・・
「本当はここがもっと赤かった・・・」
「見ているときは、ここがもっと明るかった・・・」
そして、自分が見た通りに写真で再現したいと努力する方が多くいます。
記念写真としてはそれで良いと思いますが、作品としては凡庸になってしまうでしょう
写真の「真」って何だろう
写真は「真を写す」と書きますが、その「真」とは何でしょうか
「見たまま」「存在する姿のまま」と考えるか
「自分のその時の気持ち」「現場に漂う雰囲気」と考えるか
私は、後者を表現したいとよく考えています。
風景や物を見たとき、その中の何に惹かれたのか・・・・
何故、そのものに惹かれたのか・・・・
惹かれたときに、気持ち・感情などの動きがあったはずです。
上の作品は、福井県三国港付近の海岸で夕方の時間帯に撮影しました。
日本海は何度も撮影していましたが、日本海の「暗さ」みたいなものを、
捉えたいと常々思っていました。
北陸に1年半程度住んでいましたが、曇天が長く続く北陸の風土による
「日本海ブルー」と言われる気持ちの落ち込みは、何となくわかるような気がします。
そんな日本海の雰囲気を捉えたいと思っていました
しかし、ただ暗いだけの海を撮っても、写真的には全体に凡庸となりやすいです。
この時は、防波堤に夕日が反射していました。
反射して光っている防波堤を強調することで、逆に海と空の暗さを強調できると
思いました。
露出を防波堤に合わせ、数枚構図を変えて撮影しました。
自分的には、日本海の暗く荒れた雰囲気を捉えられたと思います。
上の作品は、早朝に都幾川村に風景写真を撮りに行った時の画像です。
早朝なので、辺りは森閑として静寂が漂っています。
朝の薄い光が、木々の一本一本の姿を浮かびあがらせていました。
露出を光のラインに合わせ、木立のラインをより際立たせるように撮影しました。
それでも、光が薄いので全体が淡いトーンで収まり、
静寂感と肌にしみる晩秋の寒さも表現できたような気がします。
下辺に逆光時のフレアーが少々出ていることも、雰囲気を上げるのに
効果があったようです。
見えている通りには写していない。何を強調するかが問題。
今回の作品の2例は、実際に見えているときはもっと明るく、
肉眼では「美しい」と感じる場面ではありません。
多分、普通は見逃してしまいそうな風景です。
以前にも書きましたが、「カメラ眼」を持つことが重要と考えています。
そのカメラ眼は、自分の気持ちを反映できる「眼」です
ですから、肉眼の眼とは違います。
実際の眼は、対象をできるだけリアルに再現する眼です。他人と同じ「眼」です
作品を撮る「カメラ眼」は、作品のために何かを強調する「眼」です。
この「眼」は自分一人の「眼」です。
いろいろな対象を見たときに。自分が美しいと思ったことの理由を抽出して、
そこを強調することで、自分独自の作品に仕上げることが始まります。
撮影現場でいちいち「理由を抽出して」なんてできませんよね。
ですから、撮影した画像を後で見たとき
「なぜ、私はこの写真を撮ったのか、どこに感動したのか」を振り返り
その感動した個所や現象を強調する方法を、しっかり学ぶことが重要だと思います。
「写真」は、自分の心を写す「写心」と考えて日々努力を重ねていきたいと思います。