ノブノブのあすなろ奮戦記

写真、オーディオ、DIYなど趣味で定年後の自分を成長させる毎日

見えている通りに撮ってはダメ。写真を「写心」と考えてみよう

 

 

こんにちは。ノブノブです。

 

私も40年近く写真を撮っていると、他人の写真をよく見せていただきます

そして相談も受けることがあります。曰く・・・

 

「本当はここがもっと赤かった・・・」

「見ているときは、ここがもっと明るかった・・・」

 

そして、自分が見た通りに写真で再現したいと努力する方が多くいます。

記念写真としてはそれで良いと思いますが、作品としては凡庸になってしまうでしょう

 

写真の「真」って何だろう

 

写真は「真を写す」と書きますが、その「真」とは何でしょうか

 

「見たまま」「存在する姿のまま」と考えるか

「自分のその時の気持ち」「現場に漂う雰囲気」と考えるか

 

私は、後者を表現したいとよく考えています。

 

風景や物を見たとき、その中の何に惹かれたのか・・・・

何故、そのものに惹かれたのか・・・・

 

惹かれたときに、気持ち・感情などの動きがあったはずです。

 

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Olympus E-P3 ロッコール90mm/4 (マウントアダプター) 福井県三国港

上の作品は、福井県三国港付近の海岸で夕方の時間帯に撮影しました。

日本海は何度も撮影していましたが、日本海の「暗さ」みたいなものを、

捉えたいと常々思っていました。

 

北陸に1年半程度住んでいましたが、曇天が長く続く北陸の風土による

日本海ブルー」と言われる気持ちの落ち込みは、何となくわかるような気がします。

 

そんな日本海の雰囲気を捉えたいと思っていました

 

 しかし、ただ暗いだけの海を撮っても、写真的には全体に凡庸となりやすいです。

 

この時は、防波堤に夕日が反射していました。

反射して光っている防波堤を強調することで、逆に海と空の暗さを強調できると

思いました。

 

露出を防波堤に合わせ、数枚構図を変えて撮影しました。

 

自分的には、日本海の暗く荒れた雰囲気を捉えられたと思います。

 

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EOS 50D タムロンSP70-200mmF2.8 LD IF 埼玉県都幾川付近

上の作品は、早朝に都幾川村に風景写真を撮りに行った時の画像です。

早朝なので、辺りは森閑として静寂が漂っています。

朝の薄い光が、木々の一本一本の姿を浮かびあがらせていました。

 

露出を光のラインに合わせ、木立のラインをより際立たせるように撮影しました。

 

それでも、光が薄いので全体が淡いトーンで収まり、

静寂感と肌にしみる晩秋の寒さも表現できたような気がします。

 

下辺に逆光時のフレアーが少々出ていることも、雰囲気を上げるのに

効果があったようです。

 

見えている通りには写していない。何を強調するかが問題。

今回の作品の2例は、実際に見えているときはもっと明るく、

肉眼では「美しい」と感じる場面ではありません。

多分、普通は見逃してしまいそうな風景です。

 

以前にも書きましたが、「カメラ眼」を持つことが重要と考えています。

そのカメラ眼は、自分の気持ちを反映できる「眼」です

 

ですから、肉眼の眼とは違います。

実際の眼は、対象をできるだけリアルに再現する眼です。他人と同じ「眼」です

作品を撮る「カメラ眼」は、作品のために何かを強調する「眼」です。

この「眼」は自分一人の「眼」です。

 

いろいろな対象を見たときに。自分が美しいと思ったことの理由を抽出して、

そこを強調することで、自分独自の作品に仕上げることが始まります。

 

撮影現場でいちいち「理由を抽出して」なんてできませんよね。

 

ですから、撮影した画像を後で見たとき

「なぜ、私はこの写真を撮ったのか、どこに感動したのか」を振り返り

その感動した個所や現象を強調する方法を、しっかり学ぶことが重要だと思います。

 

「写真」は、自分の心を写す「写心」と考えて日々努力を重ねていきたいと思います。

 

 

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